教典

結集

お釈迦様の教えは弟子たちによって口伝(くでん)され、暗誦されていきました。
お釈迦様は生前、教えをインドのサンスクリット語などに記録されることを由とされなかったためです。
「心」を大切にされていました。
しかし、伝わるうちに違ってきます。
弟子たちは集まって教えを編集することにしました。
これを、結集(けつじゅう)といいます。
お釈迦様死後、100年経っていました。
こうして教典の形が出来ていきました。

国教

しかし、教えは膨大でした。
さらに100年後、結集がありました。
もう何万にもなる教典でしたが、弟子たちの師を慕う気持ちはさらに強くなりました。
あの有名な「西遊記」の玄奘(げんじょう)も、中国から苦難に苦難を重ねて、天山山脈を越えて教典を求める旅をしました。
行く先々に僧堂があり、多くの僧が修行していた記録があります。
仏教は、タイなどにも伝わりましたが、それを南方仏教と言います。
日本には、インド・チべット・中国・朝鮮半島と伝わった北方仏教が伝播しました。
中国の儒教の教えの親孝行とか、先祖を大切にとか、平和を大切にするとか本来の仏教とは違っていましたが、戦乱にある日本に伝わった時、聖徳太子はこれこそ国を治めるにふさわしい教えであると信心し、17条の憲法で「国教」としました。

尊いお釈迦様の教え。なんと永い年月でしょうか。そうです。さかのぼること2600年も前の話です。