日々是修行

佐々木閑(花園大学教授)より「女性が仏教を引っ張る日」

釈迦は、「性別や血筋で人の価値は決まらない」と考えた。だから仏教は本来、「生まれ」で人を差別しない。人はみな、僧侶になる段階で、まったく同じ地点からスタートするのだ。法律の不備で、男性僧団と女性僧団の相田には格差が生じたが、あくまで制度上のこと。「男と女の間には本質的な優劣などない」というのが釈迦の教えの基本である。「出家して修行する」という生き方は、女性に対しても等しく開かれているのだ。
従って、仏教が正しく運営されていれば、僧侶の数は、男半分、女半分になるはずだ。今、世界を見渡すと、確かにそういう場所はある。たとえば韓国や台湾の仏教界。そこでは僧侶の半数以上が女性だ。大勢の誠実な比丘尼(びくに)たちが、仏教を支えている。「仏教を深く学びたい」という思いも強く、毎年大勢の比丘尼が海外留学で外に飛び出して行く。
(中略)
 人の価値が「生まれ」で決まらないということは、裏を返せば、「生まれた後どれだけ努力するか」が決め手になるということ。厳しい道だ。しかし、その厳しい道を、風を切って疾走するところに仏教の良さがある。しかもそれは、男女の別なく、誰もが選択できる道だ。
 日本の仏教には、いまだ女性を差別する傾向が強い。恥ずべきことだ。颯爽としたクールな尼さんたちが仏教界を引っ張っていく、そんな日を目指して自己改善に励んでほしい。